NEWS&REPORT お知らせ・レポート

2024年3月リサーチ

2月28日(水)

10時~16時:「平リサーチ」

参加者:4名(陸奥・寺澤・井上・北林)

 

2月28日(水)は、平リサーチの前回の続きから。今回はFAROからスタートし、四町目〜東日本国際大学の方まで歩いて巡りました。本町通りを進むと、『百澤通り』と呼ばれる、明治時代に建てられた石蔵と石塀が当時のまま残ってる場所があります。

 

明治39年の『平の大火』後に建てられたものだそうで、この大火災で平の町は3分の2が焼け野原になりました。その後の再復興で、平の田町と鎌田町の方に『遊郭』ができたとのこと。今でも、田町は歓楽街として残っていますが、鎌田町は跡形も感じられず全然空気感が違うのが面白いですね。

 

当時、芸者さんの町だった田町の方は、江戸時代を再現したテーマパークをコンセプトにして作ったらしく、前回リサーチした時に伺った三味線屋の『山形屋』さんは、その時代の景色を残してくれていますよね。

本町通りを進むと、圧倒的な存在感の『釜谷』の跡地があります。現在は、『KURABAR』や『香楽』が入っている立派な蔵です。昔の地図と照らし合わせると、裏のマンションの方まで釜谷の土地だったと思われ、とても大きな家だったことが分かります。

 

続いて、鎌田町の方まで歩くと、『河原子地蔵堂』(首切り地蔵)を発見。ここでは、元文一揆の首謀者らが斬首され、その義民が供養されているとのこと。また、東日本国際大学の裏山の方には、『五霊神社』という元文義民の霊場があります。

 

久保町から五霊神社まで巡ることで、元文一揆の流れを体感できると共に、『平』の中でも町それぞれの雰囲気の違いを楽しめるコースになりそうだなと思いました。

 

2月29日(木)

10時~16時:「湯本リサーチ」

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・根本・熊谷・松本)

 

29日(金)は、湯本をひらすら歩いてリサーチを行いました。古滝屋からスタートし、上町の方へ歩いて行くと『上町ホットひろば』と書かれた場所に、古い湯本のマップがありました。『いわきミュージック』(ストリップ劇場)や『駒コンパニオン』など、湯本のまちが今のような温泉街としての役割だけでなく、炭鉱で働いていた人たちの娯楽の場所にもなっていたことが分かります。

そのまま線路を越えて、『妙覚寺』へ!ここは元々火葬場だったそうで、炭鉱で亡くなった方々を火葬していた煙突をコーティングする形で供養塔が建てられています。その後戻って湯本川調節池を歩き、ほるるの近くに『坑夫の像』を発見!石で造られた坑夫の表情が逞しく、炭鉱で働いていた当時の様子が頭に浮かび、心打たれました。

 

お昼は、『橋本酒店』さんで美味しいタイ料理をいただき、激辛の黒カレーもみんなで分けてなんとか完食…!午後からは、湯長谷の方へ。湯長谷エリアに入ると、「ここは、湯本?」と感じられるような、全く雰囲気の違う町が広がっていました。古いお屋敷や、堀跡なども残っていて、ここに湯長谷藩があったことを想像できました。

 

その後、釜ノ前の方まで歩き、古滝屋まで戻ってきました。1日かけてぐるっと湯本を一周してみて、湯本の中でもそれぞれの町の歴史の違いや景色があり、自転車で回ったら面白いだろうなと思うのでした。

 

18時~19時:「赤井リサーチ」

参加者:5名(陸奥・寺澤・井上・大森・藤城)

 

夜には、赤井幼稚園へ行き、理事長さんからお話を伺いました。赤井駅近くの稲田地蔵尊に、船生シメ子さんが書いた『女の一生』という石碑があり、その内容に感銘を受けて、ずっとリサーチを続けていましたんです。そしてついにシメ子さんのお孫さんにあたる理事長さんに繋がることができ、シメ子さんや赤井ついて色々とお話を聞かせていただきました。

写真の一番右が、船生シメ子さん。いわき3大女傑のうちの1人。

『いわきの三女傑』と呼ばれていた人達がいたそうで、その1人がシメ子さんとのこと…!女性だけで飲みにいくなんてあり得なかった時代に、シメ子さんは女性らを引き連れて、田町へ飲みに行っていたというエピソードも。「かっこいい〜!!」と大興奮な一同でした!

 

3月1日(金)

9時~12時:「湯本リサーチ」

参加者:4名(陸奥・寺澤・井上・渡邊)

 

3月1日(金)午前中は、古滝屋9階にある『原子力災害考証館』にて代表の里見さんからお話を伺いました。里見さんからお話を聞くことで、よりリアルに『東日本大震災』がどういったもので、何をもたらしたのかを受け止めることができました。原子力災害は人災であり、自然災害とは全くの別物ということ、今の私たちに出来ることは何なのか考えさせられる時間となりました。

 

13時~17時:「平リサーチ」

参加者:4名(陸奥・寺澤・井上・渡邊)

 

平にあった藤田女学校出身の女流歌人、田部君子について調べるため、『勿来の関歴史文学館』へ訪問。『遠野和紙×田部君子』の企画展が開催されており、田部君子さんの歌集も手に入れることができました。

 

27歳という若さで生涯を終えた田部君子さん。このたった27年間で、女性の人権の無さ、戦争など、様々な方向から襲い掛かる困難に苦しみ、立ち向かいながら、歌人として生きようとする生き様が胸に突き刺さります。

 

今を生きる私たちも、時代は違えどその「生きづらさ」が共感できたり、きっと田部君子さんが詠んだ歌のひとつひとつが自分の中にスッと入り込んで残っていくと思います。田部君子さんの歌を多くの人に知ってもらい、いわきに残していきたい!と強く思いました。

 

『勿来の関歴史文学館』の元々館長をしていた方が、古本屋で偶然田部君子の歌集本を手に取ったことがきっかけだそう。その方に今後お会いしてお話を伺いたいと思います。

 

最後に平に戻り、一昨日リサーチした平のスポットをサポーターの渡邉さんと再確認しました。やはり気になるのは、『高橋工房』さんの鯉の絵のぼり。いわき市指定無形文化財だそうで、色鮮やかで力強い絵がとても目を引きます。

また、前回のリサーチで鎌田町で見つけた謎の銅像の正体が判明!『岡田牛乳』創業者の岡田治作さんでした。平の皆さんからは「岡田牛乳懐かしい…!」との声が。この辺りは今でもお肉屋さんがありますが、かつては屠畜場があったりと、畜産業が栄えたエリアだったのですね。

 

3月2日(土)

10時~17時:「赤井・平窪リサーチ」

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・藤城・松本(ゆ)・大森)

 

3月2日(土)は、久しぶりに自転車に乗って、赤井・平窪エリアをリサーチ。午前中はこれまでリサーチしてきた箇所を巡りながら、マップコースの確認を行いました!自転車で走るとまた地域の見え方が変わり、位置関係も徐々に分かってきて面白いです。この日は自転車が進まないほどの強風で、「これが閼伽井下ろしか…!」と閼伽井嶽の凄まじさを身に染みて実感しました。

そして今回も赤井駅から出発し、まず向かった場所は、『稲田地蔵尊』。ここには、船生シメ子さんが書いた『女の一生』の石碑があります。ここには、女として生きていく上での五つの教えが書かれているのですが、特に四つ目の「人生の幸不幸は愛の対象による」という言葉が最初に見つけた時から忘れられません…!深い。これを見つけてから、書いたのは誰だ、どんな人だろう?と、リサーチが深まっていったのでした!

 

そのあとに行った『華蔵院』さんでは、船生シメ子さんのお墓もここにあることが分かりました!また郷土誌によると、『華蔵院』に【赤井焼き】の灯籠があるとのことで、みんなで探しましたが見つからず、副住職さんも見たことがないとのことでした。そこで、午後からは【赤井焼き】を求めて、『いわき市暮らしの伝承郷』へ。そして発見しました赤井焼き!タコつぼによく使われていたようです。

高貴な土器というより、日常的に作られ使われていたもの。赤井では、粘土質な良い土がとれたそうです。

 

そしてもう1箇所、赤井焼きの灯籠があるらしいという好間町にある『明賢寺』へ。すると、赤褐色の立派な灯籠が2つ発見!土台はレンガで作られており、珍しい見た目でかっこよかったです。

 

赤井・平窪エリアもだいぶ深まってきました〜!マップになるのが楽しみですね。

 

3月3日(日)

10時~12時:「平リサーチ」

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・藤城・松本・渡邊)

 

前回の平リサーチで発見した『さわの湯鉱泉』。現在は営業してないのか…と残念に思っていたのですが、さわの湯で能登半島地震のチャリティー展を開催するというチラシを見つけ、「これはチャンス…!」ということで、早速行ってきました。

 

なんとこの日が、さわの湯が『ギャラリー笑福』としてオープンの初日だったようで、多くの人で賑わっていました。いろんな作家さんの展示や、つるし雛、喫茶室などもありました。

さわの湯は、震災で風呂場の設備が壊れてしまったようで、鉱泉は現在も沸いているようですが、旅館として続けていくことは難しく、今後はギャラリーとして活用していくとのこと。中は、旅館の雰囲気はそのままで、日当たりがとても良く穏やかで温かい空間でした。隣の下宿『栄山荘』は、今後どうなるのか…!こちらも注目していきたいですね。

 

13時~16時:「赤井リサーチ」

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・藤城・松本・大森)

 

午後からは、南赤井に住んでいる方々にお話を伺いに行きました!お話を伺った鈴木さんは、元々数学教師とのことで、レジュメとお手製の赤井の地図を準備してくださりました。

 

特別授業のような形で、赤井の歴史や重要なスポットを詳しく教えていただきました。リサーチを重ねてきた私たちですが、まだまだ知らないことが沢山。やはり長く住んでいる方に話を聞くのが一番ですね!町全体が鮮明に見えてくるなあと改めて実感しました。

また、鈴木さんの奥様からは、十九夜講のうたを歌っていただきました。毎月地域の女性らが集まって、不安や困り事を共有できたり、助けてもらったり、そうやって地域で支え合いながら暮らしていたんだなあと。

 

現在は十九夜講などの文化が残っている地域は少なくなってしまいましたが、地域にとっても、人々が安心して生きていくためにも、これはとても重要なネットワークで、現代社会の課題にも繋がると感じました。時空散走では、地域の昔の知恵や暮らし方、文化から学ぶことが沢山あり、それが今を生きる自分へも繋がる面白い発見ばかりです。

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