NEWS&REPORT お知らせ・レポート

2024年8月リサーチ

8月1日(木)

13時~17時 草野リサーチ

参加者:5名(陸奥・寺澤・井上・藤城・松本)

 

今回の草野リサーチでは、松本さんに繋いでいただき、光明寺さんにお話を伺う。光明寺の第十五世歓順法師は、澤村勘兵衛に小川江筋の門削を進言し協力していたそうで、澤村勘兵衛が切腹した後には位牌を祀り、供養したと言う。また、光明寺には、澤村神社を創建した金賀源三郎さんの墓や、「いわきの石炭産業の父」片寄平蔵さんの墓もある。

 

草野というエリアは、澤村勘兵衛が小川江筋を開削したおかげで、水を引くことができ、米を作ることができ、私たちは生きられている、ということが、強く感じられる。小川江筋の工事が完成した当時は、偉業を成し遂げたにも関わらず、その功績への妬みなどから言いがかりをつけられ、43歳という若さで切腹させられたという話もあり、その地域による違いも興味深い。

 

光明寺さんに話を聞いた後は、愛宕花園神社と澤村神社に訪問。愛宕花園神社は、かつて県社(県から奉幣した神社)だったそうで、県社になった時の記念碑には、いわきの民俗学で有名な高木誠一さんの名前が書かれているのを発見。

 

市長や議員などの名前が並ぶ中、草野村長よりも先に『郷土史家 高木誠一』と堂々と書かれており、当時の地域住民の民俗学や郷土史に対する評価の高さ、高木さんの地位などが読み取れる。

 

8月2日(金)

9時~11時 湯本リサーチ

参加者:5名(陸奥・寺澤・井上・藤城・山田)

 

午前中は、湯本にてリサーチとマップコースの確認を実施。車でコース確認をした後、温泉山神社といわき湯本病院へ訪問。温泉山神社は、かつては沢山あった常磐炭鉱の山神社が集約され、ひとつにまとめられた神社だそう。

 

また、いわき湯本病院で、常磐炭鉱やいわき湯本病院の歴史に関する展示をやっている記事を見つけ、今回訪問したところ、その展示パネルを見せていただくことができた。当時、暗く高温多湿の地下労働の宿命で、炭鉱労働者には怪我や病気が多発していたそう。

 

当初は医師や看護師を採用して対応していたが、労働災害は増加するばかりで、やがて各炭鉱で自前の診療所や病院を持つようになったとのこと。最初、入山炭鉱事業所病院『入山病院』として発足した『いわき湯本病院』では、過酷な環境で働く炭鉱労働者のため、東北大学医学部と連携し、熱中症(あかまり)や塵肺等の炭鉱災害に特化した医療活動を開始。過去に何度か展示を行っていたそうですが、現在はこのパネルは展示されていないとのこと。

13時~16時 末続・久ノ浜リサーチ

参加者:4名(陸奥・寺澤・井上・藤城)

 

午後からは、末続・久之浜へ行き、マップコースの確認を行った。今回予定していた道が通行禁止ということが分かり、新しいコースを再び探索。おかげで、久之浜の『陰磯』と呼ばれる港を一望できるスポットを発見できた。

 

そこから奥に見える崖が、『ドンタリ』と呼ばれ、博打穴があったそう。漁に出たくない若者たちが、伝馬船に乗ってドンタリに行き、ひっそりバレないように博打していたのではないかという話も。また、その港の近くには伝馬船を造っていた『遠藤造船所跡』もあるとのこと。

 

次回リサーチでは、自転車でコースを試走し、ツアーに向けてリハーサルを行っていく予定。

 

8月3日(土)

10時~12時 湯本リサーチ 

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・藤城・坂本・野木さん)

 

午前中は、常磐炭田史研究会の野木さんにお話を伺う。常磐炭鉱についてや、炭鉱夫らの歌について、湯本のまちの歴史や地理的な話についても詳しく話を聞かせていただいた。

 

我々が湯本のリサーチで気になっている、『女子野球』や『球場』について、鯨岡あみこに関する本で、「父が野球好きで、湯本に球場を作り、その球場跡に学校に建てられた」という記述があったのですが、いったいどこの球場なのか今までは分からなかった。

 

今回のリサーチで、ほるるの駐車場にグランドがあったことが新たに分かり、今までは湯本第ニ小裏の常磐市民運動場ではないかと考察していたが、新たな可能性も出てきた。

 

また、かつて浅貝にあった浅貝球場には、当時巨人ニ軍のジャイアント馬場さんが試合をしに来たとのこと。各地方から、色んなチームが野球の試合をしにきていたそうだ。

 

14時~15時 平リサーチ

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・藤城・坂本・中山さん)

 

『いわき市考古史料館』に勤めている、中山さんにお話を伺う。平エリアで取り上げた、女流歌人の田部君子さんの歌集を古本屋で偶然見つけたのは中山さんで、そこから勿来関文学歴史館で館長をやっていた頃に田部君子の企画展が実施された。

 

また、田部君子さんと同じように若くして亡くなった歌人の諸根慶子さんについてや、『月刊いわき』を刊行した真尾悦子さんについても教えていただいた。

 

8月4日(日)

11時半~12時半 草野リサーチ

参加者:5名(陸奥・寺澤・井上・大森・渡邊さん)

 

草野リサーチでは、わたなべの飴本舗の渡邊さんにお話を伺う。老舗の飴屋さんで、昔ながらの道具や機械を使って、今でも手作りで飴を販売している。注目なのは、『石炭飴』で、本物の石炭のように真っ黒で石の形をした飴。

 

食べてみると、ニッキの味でとても美味しい。平に広げた飴を最後にトンカチで割って作っているそうで、過程も含めて本当に石炭のよう。石炭飴以外にも、『茶玉』や綺麗な水色の『ハッカ糖』などもある。

 

渡邊さんが子供の頃は、飴屋と駄菓子屋を一緒にやっていたらしく、小学生の頃から店番したり帳簿をつけたりお手伝いもしていたとのこと。

 

また、今は飴からグミの時代に変化しているそうで、効率や生産性を重視する社会で生きる現代人には、長時間口に含むこと自体が受け入れられにくくなっているとのこと。そして、残念ながらお店は今年で閉店するとのことだった。

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