NEWS&REPORT お知らせ・レポート

2024年1月リサーチ

1月24日(木)

11時~16時 久之浜リサーチ

参加者:5名(陸奥・寺澤・井上・藤城・高木)

 

SLOW DAYS cafeの高木史織さん(久之浜サポーター)と一緒に久之浜まち歩き。久之浜は東日本大震災でまちの姿が大きく変わってしまったが、ここで生まれ育った史織さんの思い出話を聞きながら久之浜を歩くとだんだんと光景が浮かび上がってくる。かつてメインストリートだった十字路には、必要なものはなんでも揃うほど商店街が賑わっており、昔ながらの家屋が並んでいたそう。

 

また、史織さんがおばあちゃんから聞いた話によると、その道には昔トロッコが走り漁港から魚を久ノ浜駅まで運んでいたとのこと。今でもそこだけ道幅が広く、メインストリートだった名残が感じられる。また現在の支所裏には昔映画館があり、映画館の裏側には小さい花街があったという話もあるそう。

 

海沿いを歩き、高木屋跡へ。隣には西山染工、前には大一屋(駄菓子屋)があった頃の街並みや、震災当時のことなど教えていただいた。その後は、諏訪神社、自在院、久之浜第一幼稚園跡地、愛宕神社を巡った。諏訪神社は、久之浜張子で作られた赤天狗のお面があるという話もあり、中を覗くと赤天狗があったのですがそれが本当に久之浜張子なのかどうか気になる。まち歩き後には、波立海岸沿いにある露沾の句碑と西行の歌碑を見て、大須賀痩玉夫人之碑へ。

1月25日(金)

10時~12時 内郷リサーチ

参加者:5名(陸奥・寺澤・井上・藤城・石島)

 

内郷サポーターの石島彗夢さんと共に、内郷リサーチ。午前中は、まず四家酒造へ訪問し、四家さんにお話を伺う。いわきの銘酒として長年親しまれている『又兵衛』を造っているのが四家酒造である。

 

四家一族は、元々農家で四家酒造の前は、『一角丸』という調合所(薬屋)を営んでいたそう。当時使っていた木版などもあった。また、先代が残した日記や、家系図、狂歌本などとても綺麗な状態で保存されていた。四家さんによると、家系図を作るのが当時流行したこともありこれが正しいとは思っていないとのことでしたが、残っていることがすごい。。

 

綺麗な字と鮮やかな絵が印象的で、これが江戸時代のもので、今ここにあることが信じられずタイムスリップしたようだった。当時の人たちがどのように暮らして生きていたのか、想像するだけで面白かったです。きっと今よりも相当文化レベルが高い時代だったんでしょうね。そしてちょうどお酒を作っている時期だったため、酒蔵を少し見学させていただいた。

 

13時~17時 内郷リサーチ

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・藤城・高木・三室)

 

午後からは、内郷まちづくり市民会議の三室千鶴子さんと一緒に内郷まち歩き。まずは内郷駅から。駅前の駐車場を有料にしていないのは、内郷名物の『回転櫓』を駅前のロータリーで続けていくためだそう。

 

跨線橋を渡り少し歩いて、磐城炭礦㈱創始者 浅野総一郎の『浅野頌徳記念館跡』へ。現在は民家となっており、形跡も何もない。また、ズリ山view spotや、常磐炭礦の選炭場、水中貯炭場、石炭積込場があった場所へ。下からと、全体が見える少し高台から見た。かつて炭礦住宅だったエリアもよく分かった。

 

次に古河好間炭礦専用鉄道が走っていた廃線跡、トンネル跡へ。赤煉瓦の立派なトンネルが残っており、好間から内郷駅へ石炭を運んでいたことが想像でき、とても貴重な産業遺構だ。

 

他にも、真光院さんの襖絵を見せていただいたり、好間中にある小田𠮷治翁像、産業戦士の像を巡った。産業戦士の像は、道からは見えない、墓地の奥の林に囲まれた場所にあったが、とても迫力のある佇まい。産業戦士の像は、北海道から九州にかけて、軍需省の指定した11箇所の優良工場に製作されたそうだ。

 

そして最後には、内郷まちづくり市民会議の皆さんにもご挨拶させていただいた。「まち歩きと合わせて、自転車の回があっても面白そうですね」と言っていただき、まちづくりについても色々と意見を交わすことができた。

 

1月26日(土)

10時~15時 久之浜リサーチ

参加者:3名(陸奥・寺澤・井上)

 

午前中に、いわき市出身の歌手 岬花江さんにお話を伺う。岬花江さんは歌手活動だけでなく、障がい者福祉の活動なども多岐に渡って続けられている。昨年末続・久之浜マップを作成した時に、末続の海が目の前のロケーションに『岬学園かもめパン工房』と書かれた看板と建物があり気になっていた。

 

岬さんは、1996年12月9日【障がい者の日】に、パン作り通した障がい者の人間的・社会的自立を目指す福祉施設『岬学園かもめパン工房』を私財を投じて設立。全日本パン協同組合会長の林重郎さん直々に、パンの作り方を教わったそうで、美味しくて大好評だったとのこと。

 

多くのメディアにも取り上げられ、全国からたくさんの人が訪れたそうだ。しかし、東日本大震災の影響により残念ながら現在は閉業中である。今でも岬学園の子どもたちは、ビーズアクセサリー作りと販売や、岬さんと一緒にステージに立って歌ったりなど活動は続いている。

 

他にも、空き缶のプルタブを集めて車椅子を贈る活動もされており、現在17台の車椅子を全国に贈り届けたそうだ。お昼は、きゅういちさんに行き、今年で最後となってしまう『あんこう鍋』をいただいた。午後からは、万祝を求めてアクアマリンへ。残念ながら今回見ることはできなかったが、久之浜の西山染工の万祝をぜひ見てみたい。

1月27日(日)

10時~15時 好間リサーチ

参加者:5名(陸奥・寺澤・井上・藤城・奥村)

 

いわき時空散走サポーターの奥村サヤさんと一緒に好間リサーチ。最初に、長壽院の元住職 白圡和男さんにお話を伺う。長壽院の檀家さんは炭礦関係の方も多く、閉山してから全国各地に引っ越した方もいらっしゃるようで、閉山してからは子供も少なくなり、寂しくなったとのこと。

 

また、長壽院の外には、第三坑水災殉職者供養塔や、小田炭礦で落盤事故があった時の殉職者供養塔がある。落盤事故の供養塔が建てられたのは8月15日で、その時に終戦の放送が流れたそうだ。炭鉱と好間の歴史をここで見てきた白圡さんからお話を聞くことができ、やはり本などで知れない情報が、人から話を聞くことで見えてくる。

 

その後、この間ゲットできなかった『うまかたようかん』を求めて佐藤製菓店へ。うまかたようかんとそばもちを買ってみた。この近くには、奥村さんが子供の頃は駄菓子屋さんがあり、その駄菓子屋さんがちょうど2つの学校の学区の境目だったようだ。

 

そんな思い出話を聞きながら、奥村さんのお家にお邪魔して、うまかたようかんとそばもちを食べた。どちらも美味しい。うまかたようかんは、少し塩味があり、炭鉱労働者の方が良く食べていたと言われているそうだ。次は、『長久保のしそ巻』についてもリサーチできたらと考えており、内郷・好間マップはグルメマップになりそうな予感である。

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