
『いわき時空散走フェスティバル2025春』草野・神谷ツアー
▶ 草野・神谷ツアー『いわき時空散走フェスティバル2025春』
【日時】2025年6月8日(日)13時~16時30分
【集合・解散】草野駅
【サポーター】藤城光(ふじしろ・ひかり)
▶ツアーコース
(スタート)草野駅→ 光明寺→ 澤村神社→ 大越さんご実家(金賀家)→ 笠間藩陣屋跡→ 金澤隧道→ 木村牛乳 CAFE Ca+→ 草野駅(ゴール)
今回は、「小川江筋と夏井川 水のめぐりを巡る旅」をテーマに、前回とは違うコースで行われました。サポーターの藤城さんと共に、日々の新聞の大越さん、地域学会の夏井先生も一緒に巡っていただきました。草野出身・在住の参加者が多く、各スポットで地元話が盛り上がります。
草野駅からスタートし、まずは光明寺へ。光明寺には、澤村勘兵衛の一周忌に建てた供養碑があるのですが、そこに命日である1655年7月14日と刻まれています。毎年8月14日(旧暦7月14日)の12時に泉崎青年会のじゃんがら念仏踊が奉納されるとのことでした。参加者の中に泉崎青年会の方がいて、「14日12時から絶対光明寺でやってたけど、そんな話は先輩から一度も聞いたなかった!」と驚いていました。
また、ここにはとても立派な金賀家の墓があります。澤村勘兵衛を祀る澤村神社を作ったのが、金賀家と木村家だそうです。金賀家は、今回のツアーのキーワードです!
その後、小川江筋からの水が張られた田んぼ道を走り抜け、澤村神社へ。実は、「江筋」という言葉を使うのはいわきだけという話も出ました。他の地域では「疎水」などと呼ぶそうです。
まずはお参りしたのですが、本殿の中を覗くと、光明寺で見た歓順と澤村勘兵衛の絵と似た絵が飾られていました。どちらも版画家の坂本勇さんという方が描いたもので、光明寺からストーリーが続いており、澤村神社のは民が江筋を掘っている様子だそうです。
その隣には、澤村神社をつくった金賀源三郎さんの肖像画も飾られていました。実は、大越さんは、母(旧姓:金賀)実家の隣が金賀家であり、曽祖父は金賀家から婿に来ているとのことでした。
そして次に向かうのは、その大越さん母の実家へ。今回特別にお邪魔させていただき、大越さんの叔父である彦二さんから少しお話を伺いました。代々言い伝えられてきた話や、家にあった小川江筋の沿革史の内容などをお話いただきました。
彦二さん「昔、光明寺の初代僧侶が日立の方からこちらに来る時に、金賀、松本、草野の3人がお供として一緒に来たそうです。元々は僧侶だけ残して帰る予定だったんですが、僧侶一人残すのが忍びなくて、全員そのまま土着したという話があるそうです。」
他にも、彦二さんがお父さんから聞いた話では、利安寺に澤村勘兵衛の骨と刀が見つかったと聞いて、白装束で何人かで行ったら利安寺の近所の人に怪しまれて追いかけられたと言っていたんだとか!たくさん貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
その後、平第六小学校へ。ここは元々、笠間藩陣屋があった場所です。陣屋があった時の配置図と今の六小を見比べて、当時の景色を思い浮かべます。
夏井先生によると、当時、笠間藩は三万二千石の領地に陣屋に何人配置してたかというと、たった50人だったそうです。そのため、平藩に一部仕事を委託していたりしたそうで、お互いWin-Winな関係で、藩士同士の結婚もあるほど仲が良かったようです。また、参加者の中に、先祖が笠間藩の陣屋で働いていたという話も出て驚きでした!
そして気になるのが、なぜ澤村勘兵衛は平藩だったのに、笠間藩の領地である小川江筋を開削できたのか?ということですが、澤村勘兵衛が開削始めた当初はまだ平藩領地だったそうなんです!参加者の皆さんも夏井先生の話を聞いて納得している様子でした。
その後小川江筋を辿りながら走り、次に着いたのは金澤隧道。小川江筋の水を通すためのトンネルだそうです。ここで遊んでいて友達が落ちて助けたという夏井先生の思い出話もお聞きしました。そして夏井川の方まで行く予定だったのですが、盛り上がりすぎて時間が足りなくなってしまいました。
最後に、木村牛乳のカフェ『CAFE Ca+』へ。いわきではお馴染みの老舗牛乳屋さんですが、昨年からカフェが新しくオープンしました!牛乳を使ったスイーツ、ドリンク、ランチの営業もされています。みんなで和気藹々と喋りながら、美味しいソフトクリームやパフェを食べてツアーを締めました。
毎回、濃すぎる草野ツアーですが、行けてないエリアがまだあります。続きは、次回に持ち越しということで、皆さんお楽しみに!