
『いわき時空散走フェスティバル2025春』内郷・好間ツアー
▶ 内郷・好間ツアー『いわき時空散走フェスティバル2025春』
【日時】2025年6月14日(土)13時~16時30分
【集合・解散】内郷駅
【サポーター】石島彗夢(いしじま・すいむ)、奥村サヤ(おくむら・さや)

いわき時空散走サポーターの石島彗夢さん

いわき時空散走サポーターの奥村サヤさん
▶ツアーコース
(スタート)内郷駅→ 浅野翁頌徳記念館跡→ いわき総合高校→ 四家酒造→ 廃線跡→ さかえ幼稚園→ 内郷駅(ゴール)
新エリアの内郷・好間ツアー!あいにくの天気で雨がぱらつく中、短縮コースでの開催となったため、今回は内郷エリアを中心に巡りました。サポーターは、内郷出身の石島彗夢さんと、好間出身の奥村サヤさんが務めました。参加者も、内郷や好間にゆかりのある参加者が多く、思い出話が飛び交い、天候関係なく楽しいツアーとなりました!
まずは、内郷駅からスタート。駅前広場では、毎年夏に「いわき回転やぐら盆踊り大会」が開催されてます。また、昭和30年の全国調査では、日本一大きな回転やぐらと判明したそうです。サポーターの石島さんは、回転やぐらの祭りには、学生の時から”やんちゃな人がいて怖い”というイメージがあるそうで、もう何年も行ってないんだとか!
また、かつては内郷駅から石炭も運ばれていました。参加者は、「昔内郷駅は、4車線くらいあって、当時平駅(現いわき駅)よりも広かった記憶がある。」と話していました。他の方からも、亀壮という衣料品店やショッピングセンターもあったという話も出てきて、地元の皆さんの記憶が蘇って盛り上がりました!
次に到着したのは、「浅野翁頌徳記念館跡」です。現在は何の跡形もないのですが、川を背にして立派な建物があったといいます。浅野総一郎(1848~1943)が、横浜で石炭商を始め、常磐炭田に進出して磐城炭鉱(のちに大倉財団の入山採炭と合併して常磐炭鉱となる)を創業しました。また、「セメント王」と呼ばれるほど、セメント業でも成功し、その偉業を記念して、昭和5年(1930)に、浅野翁頌徳記念館が建造されました。
いわき総合高校では、青春話が盛り上がりました!参加者の中にはOGの方もいて、演劇の授業があったことや、当時のプリクラも出てきたり。また、いわき総合高校になる前の内郷高校出身の方や、高校裏の高台に住んでいた方もいて、皆さんの思い出話が聞けました!
次に、『四家酒造』に訪問し、四家さんにお話を伺いました。創業1845年、元は調合所(薬種商)でしたが、初代四家又兵衛はお酒が好きで酒造を始めたそうです。また、又兵衛は三國廉太郎が愛飲したことや、「釣りバカ日誌」の映画で登場したことでも有名で、写真も飾ってありました!
また、四家さんが、部屋の奥から江戸時代のものなど古い資料を沢山持ってきてくれて、お話も聞かせていただき、とても貴重な機会となりました。面白い話がどんどん出てきて、ずっとここに居続けてしまいそうでしたが、名残惜しくも次に向かいます。
次の目的地に向かっている途中で、今回ツアー参加してくれたさかえ幼稚園園長の吉田さんが、「実はここが炭鉱の廃線跡で、この先がトンネルに繋がっているんです。」と教えてくれて、急遽行ってみることに!
草むらを歩いて抜けた先には、レンガのトンネルがありました!リサーチでは一度行ったことがあったのですが、改めて大迫力で、参加者の皆さんも驚いている様子でした。好間の方からから内郷駅へ石炭をトロッコで運んでいたそうですが、今も残っていることがすごいですね。
そして雨も降ってきたので、『さかえ幼稚園』へ向かいます。昭和35年(1960)当時、内郷に幼稚園がなく、内郷の子が平の幼稚園に通う途中で交通事故死する悲劇があり、現在園長・吉田元さんの祖母にあたる吉田サタさんが53歳にしてさかえ幼稚園を開園しました。
小学校教員を務めていた頃には、炭鉱の組合運動に参加し、治安維持法違反で逮捕されるなど波乱万丈な人生だったそうですが、100歳を超えても幼稚園で働き、地域で語り継がれる名物園長だそうです。いつもパワフルで、怒ると怖いので「サタン(悪魔)のサタ」と呼ばれたという話も!
最後に内郷駅まで走りきり、無事ゴール。参加者の皆さんからは、「おやつタイムがなくて残念!」「グルメが気になる!」という声もありました。
今回は、内郷中心になり、好間エリアの方まで行けなかったので、次回ツアーでリベンジ!次こそは、おすすめ美味しいスポットにも行きましょう!みなさんお楽しみに~
文章:井上栞里(NORERU?広報)
写真:鈴木穣蔵