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『いわき時空散走フェスティバル2025秋』勿来・窪田・錦ツアー

▶ 勿来・窪田・錦ツアー『いわき時空散走フェスティバル2025秋』

【日時】2025年11月22日(土)13時~16時

【集合・解散】勿来駅

【サポーター】正木里奈(まさき・りな)

▶ツアーコース

(スタート)勿来駅→ 風船爆弾案内図→ マルト創業の地→ 松山寺→ しぶや菓子舗→ 佐藤マタニティクリニック→ 磐城地方最大の豪商・升田屋→ 源助霊社→ 勿来駅(ゴール)

 

新マップの勿来・窪田・錦エリア、初めてのツアーでした。いわき市内最南端の駅『勿来駅』からのスタートです!勿来地区地元の方や、北茨城市、南相馬市からも参加者が集まりました。サポーターは、植田・佐糠・金山エリアのサポーターも務める正木里奈さんです。正木さんのお父さんが錦町出身でルーツはあるものの、町のことは全然知らないと話していました。今回も参加者の皆さんに思い出などを話してもらいながら巡っていきますよ~。

まずは、勿来駅を散策。地元の方によると、勿来駅舎の改築工事が始まるそうで、非常に残念とのことでした。現在の瓦屋根で趣のある駅舎から姿が変わってしまうのは悲しいですね・・・また、駅舎の目の前には、名勝・勿来関に因んで源義家の銅像と歌碑が建てられています。ここでみんなで記念撮影をしました!

さて、義家に見守られながら、勿来駅を出発!駅の裏側へ走っていきますよ~!最初のスポットは、『風船爆弾案内図』です。太平洋戦争末期、日本軍は直径10メートルの気球に爆弾を搭載し、上空1万メートルの偏西風に乗ってアメリカを空爆する秘密兵器「風船爆弾」を開発しました。植田高等女学校(磐城農業高校)の女学生たちが呉羽化学工業錦工場(現・クレハいわき事業所)で気球製造に携わったといいます。和紙をこんにゃく糊で張り合わせて気球を作ったそうで、その作業を当時女学生たちがやっていたとは驚きでした。

また、ここ周辺一帯の勿来基地が、常磐線から一部見えるとのことで、当時はこの付近を通る時は、などのカーテンが閉められたという話も聞きました。参加者からは「逆に分かりやすくて場所がバレてしまうのでは!?」という声も。この場所から、約9300発の風船爆弾が放たれ、オレゴン州では民間人6名が犠牲になっています。

次に到着した場所は、いわき市民の多くが日頃からよく利用しているであろう「マルト」の創業の地です。実は、マルトは勿来から始まったのです!味噌・醤油などの醸造業を営む勿来の旧家・安島家の三男に生まれた松太郎氏が明治25年(1892)、勿来駅前で雑貨店を創業しました。その後、跡を継いだ孫の裕司氏が業態を転換し、同地で昭和39年(1964)にスーパーマーケット「マルト」を創業しました。

参加者の方によると、知り合いに「元々、夫婦でリアカー引いてラムネ売って行商してたのが、こんなに大きくなったんだぞ!」と話されたことがあるそう!その話は我々も知らなかったので、みんなびっくりでした。

参加者「3.11の震災の時は、本当に飲み物、食べ物がなくて、どこもお店が閉まっている中、マルトさんだけは開けてくれたんです。マルトさんのおかげで本当助かりました。」

 

震災の時のエピソードも。当時避難した人も多かったですが、この方は家族の事情で避難が難しかったそうで食料が手に入らず困っていたところマルトが食料を随時補充し、時間制でみんなが買えるようにしてくれたそうです。リサーチで本社に伺った時も、食料備蓄や寝れるスペースの確保などいざという時のために色々と対策をされているのが印象的でした。みなさんの地域にもそれぞれ地元スーパーがあると思いますが、ぜひ地元企業を応援していきましょう!

次に、すぐ隣にある『松山寺』へ。大同2年(807)に法相宗の僧・徳一が開基したと伝えられています。窪田城主・窪田山城守、岩城親隆夫人、徳川家光などから寄進を受けて広大な寺領を有し、かつては勿来駅近くに大門があったとか。俳人・内藤露沾(1655~1733)は松山寺の鐘を愛し、「関田晩鐘」として「勿来八景」に選んでいます。

 

住職が出てきてくれて、「好きなだけ鐘鳴らしていいよ」と言ってくださり、みんなで鐘を鳴らしました。意外と重たく、難しそうな様子でしたが、深く長い鐘の音が綺麗に響いていました。

次に向かったのは、『しぶや菓子舗』さんです。地元の方や遠方からのお客さんもいるほど、人気の和菓子屋さんで、名物「関の力餅」は菓子博覧会などで何度も受賞しています。我々もリサーチで初めて食べた時には、美味しさに感動しました。ツアー当日も、各々大福や団子など好きなものを注文し、その場でいただきました。餅がふわふわでほんのり甘い。参加者の皆さんも「美味しい!」と大絶賛でした。

休憩後、窪田町の方へ向かって走っていきます。途中、立ち止まったのは『佐藤マタニティクリニック』の前。マップには載っていないスポットですが、実はサポーターの正木さんはここで生まれたそうです。元々は、産婦人科があり出産もここでできたそうですが、現在は婦人科・内科のみになってしまったそうです。

そんな話から、いわき市の医療体制の話になり、皆さんの話を聞くと病院や医者の減少はどの地域でも加速している模様です。しかしながら、この地域で生きていくことを考えた時に「医療」って命にかかわることなので重要項目ですよね。自転車ツアーで、地域医療の話題になるのは時空散走くらいだと思いますが、実はみんなの生活に密接していることなので、とても話が盛り上がりました! 

その後、窪田町商店街の方へ走っていきます。次に到着したのは、道の脇にあるゼブラゾーン。ここは、磐城地方最大の豪商・升田屋(赤津家)の船着き場の跡だそうです。升田屋は味噌・醤油の醸造業者で、また千石船を有するほどの回船問屋で、棚倉藩の御用商人を務め、いわき有数の大富豪でした。明治28年(1985)のいわき地方の納税者番付では升田屋・赤津左兵衛が1位です。升田屋の屋敷南側には昔は水路があり、そこから港まで小船で物資を運んだといいます。また赤津庄兵衛(1895~1981)は勿来市長を務め、いわき市発足直後は市長職務執行者も務めました。

また、升田屋だけでなく、明治28年(1895)統計では、石城群で100円以上の納税者は平2名ですが、窪田は5名もいて繁栄ぶりが分かります。明治時代後期に石炭産業が発展すると、炭鉱労働者も大勢集い、いわき南部を代表する商業地として窪田商店会は活気に満ちていたそうです。

その後、窪田町商店会の老舗呉服屋・田口呉服店に立ち寄ってご挨拶させていただき、『源助霊社』に向かいました!すると、参加者の一人が、「ここまでの道でふと思い出しました。小さい頃にこの近くの歯医者に通っていました。当時はもっと栄えてましたね。」と話してくれました。何十年と来ていない場所でも、頭の奥底で忘れかけていた思い出や当時の情景がぶわっと蘇る。その参加者の目や表情がとてもキラキラしていて、こちらにまで思い出が伝わってきました。

源助霊社は、窪田町白山にあり、このエリアは人家も少なく寂しい地でしたが、明治時代に炭鉱産業で町が栄えると、舟生源助氏が私財を投じて料理店、待合、芸妓屋を誘致しました。そのおかげで白山は昭和30年代まで大いに賑わい、芸妓さんも多くいて、子供たちは「神社参詣する芸妓さんの着物を後ろからまくる」なんていたずらをしたといいます。神社は地元住民が源助氏の功績を称えて建てられました。

今回は、ここまでしか巡ることができませんでしたが、勿来・窪田・錦マップはまだ半分です!次回春のツアーでは、窪田・錦エリアを中心に巡れたらいいなと思っております。また違う見どころがたくさんのツアーになると思いますので、楽しみにお待ちください!

 

写真:鈴木穣蔵

文章:井上栞里

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