NEWS&REPORT お知らせ・レポート

『いわき時空散走フェスティバル2025秋』内郷・好間ツアー

▶ 内郷・好間ツアー『いわき時空散走フェスティバル2025秋』

【日時】2025年11月23日(日)13時~16時

【集合・解散】龍雲寺

【サポーター】奥村サヤ(おくむら・さや)、石島彗夢(いしじま・すいむ)

 

▶ツアーコース

(スタート)龍雲寺→ 中村ストア→ 樋口橋→ 駄菓子屋跡→ 長久保のしそ巻本舗→ 水門→ 吊り橋→ 菓子舗たちばな→ 好嶋熊野神社→ 産業戦士の像→ 龍雲寺(ゴール)

 

内郷・好間ツアーでは、前回雨天により回りきれなかった好間エリアを中心に巡っていきます。そのため今回は内郷駅集合ではなく、好間町にある龍雲寺さんにご協力いただき、龍雲寺スタート・ゴールでツアーを実施しました。そして、内郷、好間エリア出身や在住の方がたくさん参加してくれて、地元の方ならではの話が聞けてとても盛り上がりました!

まず初めに、龍雲寺にある『吉野せい・三野混沌の墓所』へ。吉野せいは、小名浜出身の文学少女で小学校教員でしたが、日本聖公会平講義所に赴任した伝道師・山村暮鳥に文学指導を受け、また暮鳥の盟友・詩人の三野混沌と出会って結婚しました。混沌は好間・菊竹山(龍雲寺の寺領)で詩作や組合運動、農地解放運動に明け暮れますが収入は乏しく、せいが労働、家事、子育てと奔走しました。混沌死後、草野心平の勧めで、せいは半世紀ぶりに文筆活動を再開し、昭和49年(1974)発表の『洟をたらした神』は大宅壮一ノンフィクション賞、田村俊子賞を受賞しました。

サヤさんは、吉野せいさんの本を最近読んでみたそうで、とても面白かったとのこと。すると、生活雑誌『暮らしの手帖』にてサヤさんの好きな作家さんが、吉野せいさんの本を紹介していたそうです!時を超えて作品が読まれ続けているんですね。

そして、龍雲寺から見えるのが好間中学校。今回は学校前までは行きませんでしたが、好間中学校入口に『小田吉次像』があります。小田吉次(1881~1957)は秋田出身で10代から鉱山労働を始め、大正3年(1914)33歳の時に廃抗を買い取って「小田炭礦」を始めて大成功し、「炭鉱王」と呼ばれました。また、磐城高校女学校(現・桜が丘高校)に講堂、磐城高校に図書館、好間中学校に体育館などを寄贈しました。奥村さんは好間中学校卒業生ですが、当時は全く気にも留めていなかったそうです(笑)

その後、自転車に乗って出発し、中村ストアと書かれた場所へ。そこには自販機が並んでいるのですが、一つだけ『小谷作写真展』と手書きの看板が設置されている自販機があります。この周辺が好間町小谷作という地域らしく、おそらく地域の人たちであろう写真が展示されています。皆さんもぜひ見つけてみてくださいね。

次に『樋口橋』を渡るのですが、ここには『河童の恩返し』という面白い伝説があるそうです。

かつて好間川には河童がいましたが、洪水で河童の巣穴に鍬が入り込みました。河童は鉄が毒なので通りかかった樋口の伊平に助けを求め、鍬を取ってもらいます。後日、河童は「夏井川に引っ越します。お礼に深夜、樋口橋に赤と白の荷を背負った牛が通るので好きな方を受け取ってください」というので、伊平さんが赤の荷を取ると牛は煙のように消えました。その後、毎年のように伊平さんにお金が入り、村一番の資産家になりました。

好間出身の奥村さんも聞いたことなかったそうですが、不思議なお話ですよね。「白色を選んだら何だったんだろう~」とみんなで話していました。

次に到着したのは、奥村さんが子供のころよく通っていた駄菓子屋跡!馬方ようかんが名物の佐藤製菓店さんの裏の方です。今は、もうなくなってしまいましたが、ちょうど好間一小と好間二小の学区の境目だったらしく、石を投げ合っていたとのことです(笑)その後、各地域の駄菓子屋トークになり、とても盛り上がりました。

その後、好間川沿いを走っていきます!川の向こうに見える、紅葉した山々がとても綺麗で気持ちの良い道でした。奥村さんによると、小学生の頃に鮭の稚魚の放流を行い、数年後に鮭が好間川を上ってきていたそうです。今は放流をしなくなってしまい、鮭を見かけることもなくなったとのこと。上好間公園の近くにある松坂吊り橋は、赤色で歩くと揺れる吊り橋だったそうですが、最近新しく取替工事が行われました。地域の皆さんに長年愛された吊り橋だったので惜しむ声が多かったのですが、新しい吊り橋も赤色にしてくれているそうです。

そして今回のツアーでは、『菓子舗たちばな』さんに立ち寄り、各々食べたいものを購入しました。たちばなは、創業80年を超す老舗和菓子屋でしたが横浜で洋菓子店を営んでいた娘夫婦が帰郷して和洋菓子店になりました。大福を買う人もいれば、ケーキなどを買う人も、どっちも楽しめるのが良いですね。地元の参加者の方は、皆さんお馴染みの味のようで、長年愛され続けているのが分かります。

みんなでお菓子を持って向かうのは、『好嶋熊野神社』です。少し高い場所にあるので、自転車を停めて、長い階段を頑張って上っていくと、好間町を一望できました!少し休憩した後、少し先にある『産業戦士の像』へ向かいました。道路からは一切見えないのですが、草むらに紛れた細い道を進むと、突如大きな像が現れます。

昭和19年(1944)、戦争遂行のために「軍需生産美術推進隊」が結成され、5人の彫刻家がこの場所にあった古川好間炭礦を訪れて「発進」(挺身隊員と少年工のコンクリート像)を塑像しました。当時、日本全国11か所の優秀な軍需生産工場に産業戦士の像が作られ、常磐炭礦跡地(いわき市石炭・化石館ほるる)にも現存しています。

また神社に戻り、宮司さんにお話を伺いました。熊野神社は、宝亀2年(771年)に紀州和歌山の熊野本宮大社から御分霊をお祀りしたと伝えられています。ここが炭鉱で栄えていた頃は、ここだけで約二万人が住んでおり、好間一小は日本一のマンモス校だったんだとか!

 

また、熊野神社のすぐ後ろには病院があり、映画館、プール、野球グランドがあったそうです。宮司さんも子供の頃は、野球をして遊んだとのこと。映画館があった場所は、今は工場として使われていますが、建物自体はそのまま残っているそうです。他にも好間町の変遷など、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました!

その後、また龍雲寺まで戻って無事ゴール!最後には龍雲寺のご住職にもご挨拶することができました。今回は好間エリアを中心に、マップには載っていないところまで巡ることができ、皆さんの思い出話をたくさん聞けました。次回は、どんなツアーになるのか楽しみです!

 

写真・文章:井上栞里

Page Top